今回は、RADWIMPSのニューアルバム『FOREVER DAZE』に収録されている「Tokyo feat.iri」の歌詞について考察していきたいと思います。
人気シンガーソングライター・iriさんとのフューチャリングソングである本楽曲。
歌詞にはどんな物語が描かれているのでしょうか?
アルバムの情報と合わせてみていきましょう!
アルバム『FOREVER DAZE』
「ANTI ANTI GENERATION」以来約3年ぶりとなるアルバム。
先行リリースされている「夏のせい」「鋼の羽根」「TWILIGHT」「うたかた歌」や新曲を含め14曲が収録されています。
また、「猫じゃらし」のフルオーケストラバージョン「犬じゃらし」、映画『天気の子』の主題歌として有名な「グランドエスケープ」のオリジナルバージョンも収録されています。
タイトルの『FOREVER DAZE』には、永遠の揺らめきという意味が込められており、一つの場所に留まらず常に新しいことに挑戦し続けるRADWIMPSの姿を表しています。
Tokyo feat.iri 歌詞考察
この楽曲はタイトルのとおり、東京を舞台に物語が展開します。
冒頭の歌詞は、早朝のランニングでしょうか?
澄んだ朝の空気を頬に感じながら、目的地もなく、ただ身体の赴くままに走る主人公の姿が浮かんできます。
「笑い合った」という表現から、主人公以外の人物がいることが分かります。
後の歌詞で登場する君のことを指しているのでしょう。
二人でランニングをしていると、高ぶった感情が溢れ出してきて、それを止めるように二人で笑い合いました。
「僕ら言葉 跨って」というのは、日常を歌詞にして届けるミュージシャンをイメージしているのかもしれません。
まだ見ぬ未知なる未来を目指して、自分の言葉に跨って想いを伝えるアーティスト。
未来に向かうには、「心もとなさすぎる背中の羽根」は、自分の力がまだまだ足りていないと感じていることを示していますね。
それでも精一杯その羽根を広げ、疲れ果てるまで飛び続けようという決意が読み取れます。
サビで、「君」の正体が明かされます。
ずっと主人公と一緒に居た「君」は、人ではなく、東京という場所だったのですね。
楽曲のインタビューで、洋次郎さんは以下のようにコメントされています。
このコメントから、日々移り変わっていく東京の景色を見て、「いつか俺の知らない誰かになるのかな」と少し切なく感じている事がわかりますね。
東京生まれ東京育ちの洋次郎さん。
故郷であり、今も、これからも生活していく場所です。
たとえ姿形が変わってしまったとしても、今は、幼馴染のように仲良く遊んでたい、今の東京を目一杯楽しみたいという願いが込められていますね。
ここからの歌詞は、先程の1番の歌詞を元にiriさんが作詞したものです。
神奈川県生まれで、東京は冷たく寂しいというイメージを持っていたというiriさん。
東京生まれの洋次郎さんの、東京こそが迎え入れてくれる温かな故郷だという想いを聞いて、東京への見方が変化したといいます。
デビュー前、お客さんのいないライブに出た後も優しく寄り添ってくれた東京という街。
「赤く滲んでは染まる君」という歌詞には、そうしたiriさん本人の経験が反映されているのですね。
人々が集まる日本の首都・東京。
多くの人を繋ぎ、東京からそれぞれの日々へと進みだしていきます。
様々な人が集まるこの街では、それぞれが色々な思い出を持って生活していて、東京はその想いも優しく受け止めてくれます。
目まぐるしいスピードで変化していく街並みを見て、少し寂しい気持ちと、今を目に焼き付けようという思いが歌われています。
人は、どれだけ願っても過去に戻ってやり直すことは出来ません。
変わり続ける街と、変わり続ける人生を重ね合わせて、諸行無常の儚さを表現しているように思いました。
ラストのサビでは、これまで歌ってきた東京への想いがまとめられています。
僕らの様々な感情を受け入れ、迎え入れてくれる街・東京。
故郷の東京の温かさを感じながらも、未来に向け変わってゆく東京に感じる寂しさを「泣きたい時に借りる胸はそこにあるのかい」と表現しています。
誰しもが持っている故郷について、冷たいイメージを持たれている東京の本当の姿を映し出した素敵な楽曲でした。
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さいごに
いかがでしたか?
二人の歌声も絶妙にマッチした何度も繰り返し聴きたい素敵な楽曲です!
これからの活躍から目が離せません!
自分が生まれ育った場所だけど、50年後とかには自分が知っている景色はなくなるんだろうなと思って。
でも自分が知っている東京は目に焼き付けておきたいし、姿が変わろうが、この時期はきっと俺とあなたは親友だったよなっていう記録として音楽に残したいと思ったんです