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なんでもないや【RADWIMPS】歌詞の意味を考察!曲に込められた君へのメッセージ

今回は2016年8月24日にリリースされたアルバム「君の名は。」に収録された「なんでもないや」の歌詞考察をしていきます。

大ヒットアニメ映画『君の名は。』の音楽全般を担当したのはRADWIMPSです。

同映画主題歌のひとつにもなった「なんでもないや」の作詞・作曲を担当したのはボーカル・ギターの野田洋次郎さんです。

早速「なんでもないや」の歌詞を考察してみましょう。

なんでもないや 歌詞考察

映画とリンクする世界観

映画『君の名は。』と本楽曲の歌詞はリンクした部分が見受けられる様です。

映画公式サイトによれば、登場人物の立花瀧と宮水三葉は高校生で、それぞれ別の場所に住んでいます。

二人の魂は入れ替わっている事に気付きながらも生活していき、同時に繋がりを感じるようになります。

そんな矢先、突然入れ替わりがなくなってしまい、瀧が三葉に会いに行く決意をする…といった内容の作品です。

二人の間 通り過ぎた風は どこから寂しさを運んできたの
泣いたりしたそのあとの空は やけに透き通っていたりしたんだ

冒頭、登場人物は「二人」です。そこに風が吹き寂しさを感じます。

泣き止んだ後の空はとても透き通っている様に感じている、という描写となっています。

「風」は何かしらを運ぶものですが、ここでは「寂しさ」が運ばれています。

なぜ「寂しさ」が運ばれていたのかという理由は、はっきりと分かりませんが、ロマンチックな空気感を出す為ではないでしょうか?

更に「空」に関しては泣いて心が軽くなった為、いつもより「透き通って」いる様に感じたのでしょう。

涼やかで清々しさを感じさせる箇所です。

いつもは尖ってた父の言葉が 今日は暖かく感じました
優しさも笑顔も夢の語り方も 知らなくて全部 君を真似たよ

ここで「父」と「君」が登場します。

「君」は前出の「二人」を構成するうちの一人でしょう。主人公と「君」のストーリーかと思いきや唐突に「父」が登場します。

また口調も「感じました」と変化しています。普段は父の言葉を「尖ってた」と表現する主人公も、ここでは敬う感じが出ています。

映画『君の名は。』公式のストーリーや登場人物紹介によれば、三葉には父親がいる様です。

父親に対して良い感情は抱いていないようですので、歌詞にも反映されているようですね。

もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから
もう少しだけでいい あと少しだけでいい
もう少しだけ くっついていようか

歌詞の繰り返しで一緒にいたいという気持ちが強く感じられます。

「もう少しだけ」「あと少しだけ」という言葉から、いずれ離れることになる事がわかります。

時を越える僕と君

僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー
時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ

ここの箇所も映画とリンクしているようです。

「タイムフライヤー」「クライマー」などの造語と思われる言葉が出てきますが、時を超えて行ったり来たりしている人たち、といった意味合いでしょう。映画の主人公たちさながらですね。

「かくれんぼ」「はぐれっこ」はつまるところ、会えない事です。

魂レベルの繋がりがあるものの二人の間には”時間による距離”があります。

離れ離れのままでは終わりたくない、といった心情が読み取れます。

嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは
君の心が 君を追い越したんだよ

心と行動の不一致が描かれていてる、独特でトリッキーな表現に面食らってしまいます。

それだけ不意を突かれ驚き、真逆の行動を取ってしまったということなのかも知れませんね。

星にまで願って 手にいれたオモチャも 部屋の隅っこに今 転がってる
叶えたい夢も 今日で100個できたよ たった一つといつか 交換こしよう

以前は欲しくてたまらなかったモノも、今となっては不要なモノとなってしまっています。

また夢も「100個できた」けれど、交換したい程の「たった一つ」の願いができてしまったということです。

その願いが「僕」と「君」がはぐれることなく一緒にいることだとすれば、とてもロマンチックな表現が散りばめられた箇所と言えるでしょう。

いつもは喋らないあの子に今日は 放課後「また明日」と声をかけた
慣れないこともたまにならいいね 特にあなたが 隣にいたら

学校で普段はやらないこと=「喋らないあの子に」「声をかけ」ることをやってみた主人公。

ここでは「君」ではなく「あなた」と表現されています。

「あなた」=「父」、「あなた」=「君」という2つの解釈をする事もできます。

父親が側にいれば心強く普段やらないことでもできる、というものと、君が側にいてリア充だと非リアの人に声をかけるのも良いかも、という解釈です。

どちらの解釈もありかと思いますが、流れからすると「あなた」=「君」という解釈が何となく自然な感じがしました。

「君」が側にいたら普段できないこともすんなりと出来てしまいそうな”無敵感”が主人公に自然と備わってしまってもおかしくはないだろうと思います。

ここでは「僕が僕の名前を覚えるよりずっと前に」とあるので、前世で既に「君」と出会っていた、ということでしょうか。

それだけ「君」との出会いは運命的だったということなのかも知れませんね。

君の存在

君のいない 世界にも 何かの意味はきっとあって
でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう

君のいない 世界など 笑うことない サンタのよう
君のいない 世界など

ここでは「君のいない世界」というフレーズが繰り返されています。

君の不在にも一応の意味はあるけれど、嬉しさも楽しさもそこにはない無意味な世界があるだけ。

八月には当然のように夏休みはあり、クリスマスには笑顔のサンタクロースがいるのは当たり前ですよね。

そんな当然で当たり前の「楽しさ」や「嬉しさ」のシンボルのようなものが欠落するほど、「君」がいない世界は殺伐としています。

それだけ主人公にとって「君」の存在は不可欠で大事なものなのです。

ただし、最後は「君のいない世界など」と不完全な文章となっていますが

これは何を表しているのでしょうか?

なんでもないや やっぱりなんでもないや
今から行くよ

君は派手なクライヤー その涙 止めてみたいな
だけど 君は拒んだ 零れるままの涙を見てわかった

嬉しくて泣くのは 悲しくて 笑うのは
僕の心が 僕を追い越したんだよ

ここでようやくタイトルの「なんでもないや」というフレーズが出てきます。

前出の「君のいない世界」の繰り返しによるテンションの高さから一転、どこか素っ気なさを感じます。

「なんでもないや」は何かを打ち消す言葉です。しかも2回出てきます。

これは「君」の存在がいかに大事かをまるで否定しているかの様です。

ここで注目したいのが前出の「君のいない世界など」の不完全な文章です。

ここの箇所と前の箇所を繋ぐ位置にあるこのフレーズですが、テンションが高いまま「君」への不在はどれだけ無意味で味気ないものかを表現する言葉が続くと想像できるかと思います。

この「なんでもないや」の素っ気なさが記憶の消失から起因するものならば「今から行くよ」は、「君」のところへ行くよ、ではなく元いた自分の場所へ戻るよ、と解釈できるでしょう。

さいごに

ハッピーエンドともバッドエンドともとれる歌詞のラストですが、作詞・作曲をした野田洋次郎さんから解釈の自由を提示されているかのように感じました。

映画に使われた楽曲なので、当然歌詞と映画の世界観がリンクしている箇所も多々ありますが、敢えて「好きに解釈していいよ」と言われているかの様に思うのです。

本楽曲「なんでもないや」もですが映画『君の名は。』の他の主題歌も併せて聴くことで、独自の世界観を味わってみるのも一興ではないでしょうか。