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幻の命【SEKAI NO OWARI】歌詞の意味を考察!命の重みをテーマにした楽曲の意味とは?

耳の鼓膜に浸透してきそうな柔らかなFukaseの歌声と、ポップでありながらも幻想的な気持ちを抱かせる演奏と歌詞で大人気のSEKAI NO OWARI。通称、セカオワ。

そんなセカオワの有名ソング『幻の命』の歌詞について考察します。

『幻の命』は、セカオワのインディーズ第一作目のシングル楽曲。シングルCDはタワーレコードで限定発売され、今では廃盤になっています。

『幻の命』のメロディは、ピアノの藤崎彩織が中学生の時に制作したものが大きな素材になっているそう。中学生でこの切ない旋律を生み出すなんて、恐るべし才能です!

白を基調にしたMVは「共同生活をしている朝の雰囲気」を醸し出すためだったとか。

白色の静けさの中で歌われる「生」や「死」、セカオワが伝えたいメッセージとは何なのでしょうか?考察していきます。

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『幻の命』歌詞考察

亡くなった命に捧げる祈り

白い星が降る夜に 僕からの賛美歌を
蒼い銀河の彼方にUFOが 君を連れて消えていく

「白い星」という神秘的なイメージで始まる冒頭の歌詞。

何かが消えてしまったような静謐な雰囲気が漂っています。

「君を連れて消えていく」という言葉からは、を彷彿させます。

「讃美歌」とはキリスト教における「神様を讃える歌」のこと。儀式などで歌われるものです。

ここでは、亡くなってしまった命に対して、祈りを捧げていることが予想されます。

消えてしまった命

白い病院で死んだ 幻の命に
眠れない夜に夢で逢えたらと 蒼い月に祈るんだ

「白」には無垢で神聖、けがれが無いイメージがあります。

幻になって亡くなってしまった命に対しての敬虔なる祈りや聖なる気持ちを、あえて 「白い病院」と表現することで、命の重みを強調しているのではないでしょうか。

「夢で逢えたら」と切なる気持ちは、悲しみや涙を表現する「蒼い月」へ投げかけるとされています。

色のコンストラクションで、命に対する重み、儚さ、哀しみ、慈しみが強く感じられる歌詞です。

夢の中で出会える命

幻に夢で逢えたら それは幻じゃない
僕もいつの日か星になる 自由が僕を見て笑う

ここはセカオワがより強く主張したいメッセージではないでしょうか?

「幻に夢で逢えたら それは幻じゃない」—。

亡くなった命を「亡き存在」にするのではなく、夢の中で遭遇できたらそれは実際の出来事であり、「生きている命」なんだ、という思いだと感じます。

多くの人が亡くなった人の存在を否定したとしても、命は生き続け、存在する。

遺された側の嘆きに寄り添う歌詞です。

「僕もいつの日にか星になる」—。自分だっていつかこの世から去る日がやって来る。

生きている命と死んでしまった命に、そんな大きな境界線はない。そんなイメージも浮かびます。

主人公を意図せず襲う何か

嘘が煌めく夜に 偽物の花束を
蒼い銀河の彼方にUFOが 僕を連れて消えていく

「嘘が煌めく夜に偽物の花束を」—。おそらく主人公の願いに沿っていない現実を歌っているように感じる歌詞です。

「僕を連れて消えていく」という歌詞から、本望と異なる現実が主人公を意図せず襲っていることが考えられます。

周囲の声なのか?命への何かしらの冒涜なのか?

命を尊ぶ主人公の、悲しみや怒りすらも感受できます。

幼い命を惜しむ

白い病院で「死んだ」 僕達の子供は
「もうこの世界にはいない」のに何で何も 感じないんだろう

一番とは異なり「僕達の子供は」という言葉。「死んだ」にも「」(カギ括弧)が付いていることからも、生きるべき命が死にゆく運命を辿らざるを得なかったことが強調されているようにも考えられます。

まるで親から子供へ向けられた視線のようでもあり、大人から「死んでしまった小さな命」への想いのようでもあります。

「何で何も感じない」の主語は書かれていませんが、主人公だと意味が通りそうです。

子供達が死んでしまったにもかかわらず、何も感じない=悲しみのあまり感情が虚無になっている状態を俯瞰的に見ているのでしょうか。

どちらにしても、亡くなってしまった命を惜しむ感情がひしひしと伝わってきます。

いつか死ぬ僕と「幻の命」の邂逅

幻に夢で逢えたら それは幻じゃない
僕が幻になれた夜 白い星が空に降る

大事なサビ部分ではもう一度「幻に夢で逢えたらそれは幻じゃない」と綴られます。

「僕が幻になれた夜」とは、主人公「僕」がいつか死を迎える日のことでしょう。

「白い星」=死んでしまった幻の命そのものと捉えることができます。

「白い星」は冒頭にも出てきた言葉で、この世とあの世の境目を表すような神聖さを孕んでいます。

幻の命になった「つくし」へ

April 30, 2005
Our child became the phantom.
We named “the life of phantom”, TSUKUSHI.
It was a night with the red moon blazing beautifully.

君のパパとママの歌

最後は、ファンの間でもいまだ揺れ動く意味深な英文歌詞。

”2005年4月30日
私たちの子供は幻となった
私たちは「幻の命」をつくしと名付けた
赤く燃えるような月が美しく上った夜のことだった”

ここではあるひとつの「幻の命」について綴られています。

2005年4月30日は、つくしという名前になる予定だった子供の命日だと考えられます。

実体験に基づいたエピソードなのかどうかは、セカオワからコメントも出されていません。

しかし実話ではなくても、今も「幻」になってゆく命があるという事実は否めません。

SEKAI NO OWARIは、一つ一つの尊い命を慈しみ、心に留め、いかなる命も蔑ろになれるべきではないことをリスナーに伝えたかったのかもしれません。

そして、自分自身にもいつか死が訪れる必然性に、歌を通じて自覚を促し、命の重みを主張したかったのかもしれません。

この点は、リスナーに委ねられた一つのメッセージでもあるでしょう。

おわりに

いかがでしたか?

様々な意味を持った『幻の命』、そこに通底するセカオワからのメッセージに耳を傾けながらぜひじっくり聴いてみてください。

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