今回は藤井風さんのアルバム『HELP EVER HURT NEVER』より「帰ろう」の歌詞考察をしていきます!
「帰ろう」は藤井風さん自身が作詞作曲を手掛けました。
アルバム曲でありながらMVの再生回数が700万回を超える人気曲で、藤井風さん自身も「この曲を出すまでは死ねない」と意気込んでいた曲です!
では早速歌詞の考察を始めていきましょう!
帰ろう 歌詞考察!
明日を生きる「あなた」と明日がない「わたし」
曲冒頭の歌詞で注目すべきは、「夕日」と「夜明」という真逆の表現です。
「夕日に溶けるあなた」と「夜明に消えるわたし」。これは「あなた」には生きる明日がありますが、「わたし」には生きる明日がないため夜明が来たら消えてしまいます。
つまりこの曲のテーマは死別。しかし決してネガティブな意味ではありません。
「もう二度と 交わらないのなら それが運命だね」と運命に身を任せるように語っており、諸行無常のように死別を当然来るものとして捉えていることがわかります。
続く歌詞でも「あなた」と「わたし」は対照的に描かれています。
誰かのために生きて灯をともす「あなた」。対して誰かに何かしてもらうのを待って光をもとめる「わたし」。前向きな「あなた」と後ろ向きな「わたし」という構図が思い浮かぶと思います。
しかしこれは卑屈になっているわけではありません。
続く歌詞が「怖くはない 失うものなどない 最初から何も持ってない」とまた悟ったような感情を抱いており、どこかに進んでいく決意を感じさせるようなものになっています。
「わたし」は前を向いて歩いている「あなた」と自分を比較して卑下しているのではなく、「あなた」のため、もしくは次の自分のために何かしようとしているのかもしれません。
この部分は大人になって純粋な心を失ってしまった虚しさが描かれています。
子どもの頃は誰しも5時の鐘(サイレン)を聞いて家に帰る時間を認識していましたよね。
しかし大人になってしまうと、そのサイレンの音が鳴り響いても聞こえていないかのように何も感じません。
純粋な心を失ってしまったのはまるでもう人として終わりを迎えたように感じますが、続く歌詞ではそれは「大間違い」としています。
むしろこれからが始まりで、「あなた」と別れた世界でも先は長く続いていきます。
そして「わたし」は今までの人生を「忘れないから」と言っています。これは「あなた」がそのままさらに続く世界を生きていくのに対し、「わたし」は次の人生に向かって行く様子を表現しています。
ここまでずっと「あなた」と「わたし」が対照的に描かれていますね。
平和に無に帰る「わたし」
このサビ部分で繰り返し歌われる「帰ろう」というのは「無に帰る」ことを表しています。
先程の歌詞では「忘れないから」と歌っていたのに対し、サビでは「全て忘れて」と真逆のことを歌っています。
これは先程までは「あなた」についてのこと、「あなた」が歩んでいくであろう人生のことが歌われていたのに対し、サビでは痛みや苦しみなどネガティブなことについて歌われているためです。
「憎みあいの果てに何が生まれるの」という歌詞に表れているように、「わたし」は死にゆく際に平和を求めています。
「さわやかな風」「やさしい雨」は平和や愛を象徴しており、「わたし」は死を迎えて穏やかな気持ちになっていることがわかります。
「わたし、わたしが先に忘れよう」というのはこの流れから解釈すると、憎み合っていた相手との溝について先に忘れてしまおうということです。
自分自身に言っているのか、もしくは自分が死にゆく中で誰かに対して語りかけているのか、「心の溝は全て忘れて、愛を持って平和に生きていこう」というメッセージが込められています。
別れの瞬間、お互いを想いあう「あなた」と「わたし」
「あなた」が吐いた「弱音」は未来についての不安、逆に「わたし」がこぼした「未練」は過去への執着です。
2人はお互いを強く想いあっていたのでしょう。「わたし」のいない世界を生きる不安を漏らしてしまう「あなた」に対して「わたし」は「あなた」と過ごした時間に執着しています。
これに続く「最後くらい 神様でいさせて」という歌詞は非常に印象的です。「神様」と言えば無償の愛を与える存在。特にイエス・キリストは無償の愛と許す義務を語ったことで有名です。
想いあっていた2人が死別してしまう瞬間は、想像に耐え難いほど辛いものです。
しかし「あなた」を想っているからこそ、「わたし」は最後まで「あなた」を愛していたいと思っており、つい弱音を吐いてしまったり未練をこぼしてしまうことを残念に思っています。
「あなた」と辛い別れをした「わたし」ですが、いざ天に召されて元いた世界を上から見ると、その世界は「わたし」が生きていたときと何ら変わりなく回っていました。
そんな世界を見て「わたし」はこれから自分がいなくても世界が回っていくことを理解し、少し背中が軽くなります。
「国道沿い」は人が多くいる場所、言い換えると人の執念が交差する場所です。
そこで別れたことは、生前に執着ばかり持っていた自分との決別を表しています。
これは「ください ください ばっかで 何も あげられなかったね」という歌詞にも表れています。
「生きてきた 意味なんか 分からないまま」という歌詞から、「わたし」は死の直前まで執着に塗れた人生を生きてきたことが分かります。
死んでしまった「わたし」の視点になって初めて、自分が生きてきた人生を振り返ることができています。
「わたし」の人生は「与えられたもの」
このサビの部分では「与える」という言葉がキーワードになっています。
1番で「最初から何も持ってない」と言っていた「わたし」ですが、ここでは「与えられるものこそ 与えられたもの」と言っています。
これは家族や友人、恋人に与えられてきた愛や絆のことを言っています。
愛や絆は生まれつき持っていたものではなく、誰かから与えられたもの。逆に言えば「わたし」が与えられるものは、今まで自分が与えられてきた愛や絆です。
「わたし」はこれらを「全て与えて」無に帰ろうとします。「わたし」にはもう未練がなく、愛や絆を与えられた奇跡に感謝をしています。
また「わたし」は「去り際の時に」「一つ一つ荷物」を手放しています。ここで言う荷物は執着や憎しみなどのネガティブな感情で、1番の歌詞と同じようにこれらのネガティブな感情を持ち越さないようにしています。
死に際に今までの人生に感謝し、その感情だけを持っていこうとする「わたし」の姿が思い浮かびますね。
そして最も印象的なのが歌詞の最後に出てくる「今日からどう生きてこう」というフレーズ。
今までの人生に未練がなく(というよりは未練を持たないようにして)無に帰る「わたし」。
もうこれまでのことは忘れ、次の人生という旅に出る準備をしている様子がこの1文に詰まっています。
人はいずれ死んでしまうもの。それは避けられない運命であり、どうせ死んでしまうのであれば自分が生きた人生に感謝だけを持ち、平和で愛に溢れて死んでいこうというメッセージが詰まった曲でした。
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さいごに
タイトル「帰ろう」もそうですが、常に激しい感情を描いていないのがこの曲の特徴と言えます。
無常観と言えるでしょうか、自分が生きた人生に未練を持たないようにして次の人生に向かって準備を始めるという「死」をテーマとして扱った曲としては潔く、平和で、悟ったような曲になっています。
しかし比較的前向きに死を考えており、「自分がいなくても世界は回る」「何があったとしても死後には持っていかない」「自分がいない世界が今後どう進んでいくのか、自分は新しい世界でどう生きていくのか楽しみだ」といったメッセージが随所に見られます。
岡山弁を交えて身近に感じる歌詞を書くこともある藤井風さんですが、この曲は考え方としても魂の行き先としても天の上から語りかけるような曲になっており、曲を聞き終わると一本の映画を見たような感覚に陥ります。
このようなメッセージ性も描くことができる藤井風さん。今後どのような曲を発表するのか楽しみですね!