今回は、ボカロ曲でも注目された米津玄師さんの『ドーナツホール』について、歌詞考察していきます。
2014年にリリースされたアルバム『YANKEE』でも、カバー曲として本人が歌っています。
聴き比べてみると、さらに歌詞の意味が深まると思いますよ。
米津さんの想いが、連打し、空に散ったかのような『ドーナツホール』。
その歌詞の神髄に迫っていきましょう。
ドーナツホール 歌詞考察!
思い出せない大切な記憶
「思い出せない記憶」とは、なんでしょうか。
この歌詞の主人公は、それを憶えている、と言っています。
明らかに矛盾する歌詞ですが、私にはなんとなく分かる気がします。
なぜかというと、思い出せないんだけれど、たしかにある。
思い出せない、あるいは思い出したくないトラウマなんだけれど、たしかに存在する記憶というのはあります。
人はそれぞれに、何かしらトラウマのような記憶を抱えています。
米津さんにも、もしかしたらそのような記憶があるのかもしれませんね。
そして、次。
「何回やったって 思い出すのはその顔」というのは、顔の輪郭はなんとなく分かるんだと思います。
けれども、細部に渡ってその顔を思い出すことはできない、というもどかしさのようなものかもしれませんね。
ドーナツホールの歌詞は、テンポよく進んでいくのですが、どこか周囲との調和が乱れているようにも聴こえてきます。
「環状線」の歌詞で、これはもうサラリーマンと呼ばれるような一般人を象徴しているのだと思います。
「朝日を追う」のですから、明るく希望に満ちた描写にも読めます。
一方、社会から弾き出された自分たちは、夜型人間になってしまうよ、ということなのだと思います。
暗く絶望に似た渦の中で、色々ともがいている、という感じでしょうか。
気持ちが弱っている時というのは、生活習慣も乱れるような気がします。
そして、生活習慣が乱れた方たちは、気持ちがさらに弱るイメージをここに書かれているのかもしれません。
先ほどは「何回」だったのに、今度は「何万回」になっています。
トラウマを抱えた時に、思い出を処理したくてたまらない、という感覚に似ているかもしれません。
主人公は涙を流し、相手にほんとうの愛を求めているような描写にも読み取ることができます。
そこは、読者の想像力で、様々に変化するのでしょう。
何も知らないことによって、相手を理解できない。
それが、相手を傷つけてしまうことになりはしないか。
こういうことだと思います。
そして、眠れない。
あなたは、気にする必要なんてないのに、と笑うだろうか。
このように読み取ることができます。
あなたへの愛と、あなたからの愛が、見えない世界でうごめている気がします。
もしかしたら、この辺りに、『ドーナツホール』を感じ取ることができるかもしれませんね。
そして、サビ。
「あなたがくれた体温」というのは、簡単な感情ではないと言っています。
そして、別れの寂しさに似た気持ちを抱え、愛情、心の器が、カタカタと鳴っているイメージが湧いてきます。
あきらめに似た感情も、ありますね。
永遠の存在
ドーナツの穴について、哲学的なことを述べています。
これは、見えない世界やものを、あるのにあると証明できない葛藤に読めます。
そして、うんざりして、自分の世界に入っていくという感じでしょうか。
あるいは、悲しみに似た、沈黙のようなものでしょうか。
「死なない想い」というのは、なんでしょうか。
これは、見えない世界や言葉にできない想いで、それがあることによって安心できるとは限らない、と言っているように読めます。
おそらく、過ぎたことだから、思い出したくない。
その代わり、穴を埋めて、さっさと安心したいという想いかもしれません。
そして、再びサビ。
思い出せない感情を数えていたら、輪郭がさらにぼやけてしまった、という感じでしょうか。
サビが流れ、曲の真骨頂に近づきます。
あなたの存在
ハッキリとは思い出せないけれど、言葉にできない葛藤。
それが、あなたの存在であり、たしかに感じるもの。
けれども、それであなたに会ったわけじゃないから、心は落ち着かないまま、という感じなのだろうと推測します。
つまり、ドーナツホールとは、大切なあなたの存在とも言えます。
絶え間ない葛藤の中、ふと思い出せない記憶の片隅を思い出す。
それがあなたの名前だった。
それが、あなたのすべてだった。
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さいごに
あなたの名前。
それは、微細にして、あなたのすべてだったということでしょう。
誰にでもトラウマはありますが、思い出せない大切な記憶というのもあると思います。
米津さんは、ミステリアスでトラウマをたくさん抱えていたと推測できますが、その繊細で、でもたしかにある存在を読み解くのではなく、感じ取ってほしいと願っていたのかもしれません。
米津さんの曲で救われた、マイナーな方たちも、この世界にはたくさんいることでしょう。
僕も含めて、1人1人のたしかな存在がこの世界にはうごめき、つながっているのだと思います。